プロフィール
1965年大阪生まれ。建設コンサルタント会社勤務から92年家業の不動産経営へ。97年山根エンタープライズ(株)設立。地域の魅力を活かすまちづくりの提案や実践を進める。「心斎橋ブティック街」「道頓堀劇場街」などのサイト運営。空堀商店街長屋再生プロジェクトとして02年複合ショップ「惣so」を開業。09年日本初の常設川床「北浜テラス」運営開始。19年「道頓堀ミュージアム並木座」運営開始。23年「キタハマミズム舟寄場」運営開始。16年の対国交省事務次官など講演多数。関西まちづくり賞(都市計画学会) 緑のまちづくり賞(大阪府等) 大阪観光局長賞(なにわ大賞)ほか。共著に「大阪力辞典」「ひとがやさしい博物館」など。 |
まちづくり関係 活動履歴(個人、団体含む) |
o
m p |
空
堀 |
水
都 |
直
木 |
観
光 |
C
O M |
道
頓 堀 |
(情報収集開始時代)
1979.4(13歳) 大阪、近畿、日本に関する新聞切り抜きを始める。併せて冊子などその他資料も集め始める。 自宅から中学校への最短距離を調べるため、地図を自作したのをきっかけに、千里や大阪を題材にして、より理想化した空想地図を多数創作。(14歳前後)千里ニュータウンの構造を研究。 1981.3-9 神戸ポートピア’81 「山、海へ行く」と言われ、「神戸市株式会社」等と言われ、「まちづくり」や「都市経営」に強い興味を持ち、資料等を収集すると同時に現場に行く。 1983.2(17歳) 課外活動の柔道と空手が腰痛でできなくなり、また一方で「大阪城築城400年祭り」に向けたサンケイ新聞の連載「進取のまち大阪」(堺屋太一氏。同連載は単行本化され「先取りの群像・大阪―関西過去・未来考」(1983PHP研究所)となる。)がきっかけとなり、大阪の町歩きと魅力の研究をはじめる。これが後の大阪まちプロデュース活動の直接的動機となる。 |
|||||||
(提案・投稿・応募時代)
1990.3 阪神高速道路湾岸線三宝出口付近 事故誘発原因となる車線の引き直し警察に指摘→即実施 1990.4 阪神高速道路阿波座出口 中央大通りの車線指定案内看板の誤り警察に指摘→撤去 |
|||||||
1995.4 関空会社へ「連絡道脇見防止フード」ほか多数提言→各提言を関係部署に検討を指示した旨の報告と丁寧な礼状。(この時提言した「動く歩道導入を」→3年後導入。「関空カード」→10年後導入決定)
1995.7 大阪市・大阪都市協会の写真募集「SWEET水都100選」に「淀川公園とヒナゲシ畑」応募→条件(サービス版1枚)外だったが入選(審査員:浅井慎平 里中真智子 河内厚郎ほかの各氏 応募総数854点) 1995.10 大阪市道路愛称募集「鶴見通」応募→準入選(14路線、主催大阪市、応募総数1万点超)他の4案と併せて計5つの応募案が採用された。(表彰は、採用案提案者の中から抽選。) 1995.11 産経新聞投稿 「大きかったAPEC大阪開催の意義」→掲載(ほか多数掲載) 1996.4 大阪府 「トイレ面積、女子を広く」提言:使用面積、処理効率の観点から科学的に必要性を立証→府礼状。現在何となく採用されている。 1996.5 大阪府 「関空土取り跡地に(地元の協力で作る)手塚治虫ランドを」(利用法困惑の記事見て)提言→礼状、下段へ 1996.7 →府企画調整部より詳述依頼→各種調査の上、立地意義、合理性、実施する場合の関連企業一覧、同ランド計画私案など提出→1999.1へ 1996.6 大阪府に提言「高速道における中国池田=湾岸尼崎間の接続を」→府礼状 1996.10 関空会社 「各地に根ざしたきめ細かいPR、海・空のリンケージ、本土との複線リンク、連絡橋料金」など提言→「各地に根ざしたきめ細かいPR」実施。「本土との複線リンク」検討開始。 1996.11 「大阪城大改修」に関して協力 1997.6 大阪市長磯村隆文氏著作「大阪WAY」に関して市政で特にアピールすべき点や新たに気づいたアイデア「大阪はアメリカの団体との協力めざせ」を市長に直接提案。・・・2001年のUSJオープン、1999年の大阪証券取引所と米ナスダックとの提携へ 1997.9 大阪府に提言「水資源の確保法」→府礼状。 |
大
阪 再 発 見 ・ 活 性 化 提
|
||||||
(提案・交流時代)
1998.1 大阪市主催「大阪魅力百科発掘」(大阪の隠れた魅力紹介・ビデオと小論文)応募→下段へ 1998.3 「桃谷御幸通りコリアンタウン」優秀賞、「夜の阪急梅田周辺ストリートミュージック」優良賞、「老松通りの古美術街」佳作受賞→(表彰式出席、河内厚郎審査員長、総数246点) →大阪キャッスルホテルにて表彰式・受賞者懇親パーティ。産経新聞、毎日新聞、朝日放送テレビ、大阪市だより(PDF693kb)などで紹介される。 1998.8 提言「必要とされる鉄道計画」8号線のルート変更の提案→大阪市交通局長名で回答 1998.10 大阪交通労働組合「御堂筋線ホームに柵」同時に乗車待ちの並び方も提言 1999.1 1996.7大阪府への提言に関連して・・・「大阪府、関空土取り跡地に集客施設」決定
2000.4 街づくりに興味のある人を対象に「商業施設の企画・調査」講習会(計8時間)を企画。講師は商業施設コンサルタントのパイオニア山永明博先生
21世紀 |
大
阪 ま ち プ ロ デ ュ l ス |
||||||
(実践 からほり開始)
2001.4 「空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト」発足集会に、発起人六波羅氏より誘われ参加。大阪・谷町六丁目南側に残る長屋などに、活力有る店舗を呼び込んだり、イベントを開催するなどして、総合的な手法で界隈が元々持つ魅力を活かして活性化する計画。以後、新聞・テレビなど各種マスコミでも取り上げられ、一種の”からほりブーム”始まる。 2001.5 福岡県飯塚市に水道料金制度の改善提案。(現状ではマンションの形式により、住民の水道単価に2倍以上の開きが有る。福岡市は是正措置を講じている。)→飯塚市上下水道管理者名で回答 同年8月飯塚市議会に「陳情書」提出。建設委員会にて説明。→朝日新聞取材受ける 2001.6 財団法人大阪都市協会(大阪市外郭団体)特別会員となる。 2001.8 NPO街屋集団において空堀商店街アーケードデザインを企画。その一環として参加者を公募してまちの魅力を再発見する「お宝発見」ワークショップを開催。 参加するNPO街屋集団が、特定非営利活動法人として大阪府の認証を得、理事に就任。 2001.11 イベント・文化仕掛け人学校主催「京町堀ほろ酔いクラブ」にて「ひとりからの まちづくり」講演。 2001.11 「空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト」(2001.4発足)参加者の会を「からほり倶楽部」とし、散在する長屋や空き地、路地に芸術作品を展示する「空堀アートイベント」(現・からほりまちアート)を企画(8月〜)開催(11月23日(祝))。 2001.12 大阪市市長室 連絡調査課「五感を活かした大阪のまちづくり」による有識者アンケートに回答。 2001.12 1999.3に発表した「西区と土佐と三菱と」が高知県から着目され、同県大阪事務所長の訪問を受ける。大阪と土佐の関わりをテーマにキャンペーンするとのこと。 2002.2〜3 上記経緯で高知県大阪事務所で写真展「なにわの高知」開催される。高知新聞に掲載される。 当ページも協賛して再度取材しなおし、なにわと土佐と三菱とページを立ち上げる。 2002.3 冊子「博物的"新"大阪文化名鑑」(大阪ミュージアム文化都市研究会著・大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所発行)に当ホームページ(トップ、大阪・関西にゆかりのある人物集、まちの骨格、大阪の掟)が掲載される。
2002.3〜7 「空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト」の一環で、代表で建築家の六波羅雅一氏と共同で、壊れかけの長屋2軒分を5店舗が入る商業施設「karahori惣so」として再生。その賃貸手法と管理運営を担当。建設中TVで梨花さんと持田真紀さんに塗装を手伝ってもらう。惣の長屋再生の様子は3ヶ月密着取材によりNHK「ふるさと発ドキュメント」(25分特集。全国)、1ケ月密着取材によりテレビ大阪でもドキュメント番組放映。産経新聞、朝日新聞、フリーペーパー「ざ・おおさか」などで紹介される。
|
空
堀 長
ア
惣 |
||||||
2002.7 NPO法人街屋集団にてカヌーで水辺体験の上「東横堀川・道頓堀川 水辺の提案書」作成。
2002.8 大阪青年会議所(JC)主催のまちづくりフォーラム「創ろう!えぇまちおおさか in こまがわ 〜新しい大阪の地域価値創造のために〜」に、招待されてブース展示。(「サブリース(転貸)でできる街づくり---惣」と「ompへの要望募集」。市会議員を含む多くの方から反響を頂いた。) 2002.8 ホームページを見て、ワンコリア・フェスティバル委員長の鄭 甲寿(チョン・カプス)氏の来訪を受ける。鶴橋と御幸通りコリアタウンの接続ルートなどで意気投合する。 2002.9 NPO法人街屋集団にて大阪府からユニバーサルデザイン創出事業委託をコンペで優勝し231万円にて「みんなにやさしい水辺の提案」事業受託。 2002.10 「からほりまちアート」(主催からほり倶楽部)にて広報を担当し、当ページ内で同イベントのホームページを作成。大阪市の中央区報「ちゅうおう」10月号に掲載される。テレビ・ラジオにも出演。 2002.12 当ページの特集「心斎橋ブティック街」について毎日新聞に掲載される。 2003.3 民主党の大阪市会議員候補の来訪を受け、西区のまちづくり活動についてブリーフィング(説明)する。
2003.3 政府主催の世界会議・世界水フォーラム(滋賀、京都、大阪で開催)において、NPO法人街屋集団として上記の「みんなにやさしい水辺の提案」を共同講演(大阪国際会議場にて) 2003.4 からほり倶楽部(空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト)の組織化に伴い理事就任。
2003.6 市民団体「水都大阪を考える会」(略称:水都の会)主催の「水都再生を考える夕べ」にて、NPO法人街屋集団として上記の「みんなにやさしい水辺の提案」を講演。(大阪・中崎町 天人(amanto)にて) |
水
都 大 阪 再
|
||||||
2003.6 全国賃貸住宅新聞社主催「賃貸住宅フェアin大阪」にて講演。(大阪・南港 インテックス大阪にて)
2003.6 当ページの特集「心斎橋ブティック街」について読売新聞に掲載される。スーパーブランドが存するフランスやイタリアと「大阪人のラテン気質」の親近性に着目した記事は好評を得る。記事 2003.9 NPO法人街屋集団の理事を辞す。(会員としては残留) 2003.10 NPO「なにわ堀江1500」(水知悠之介代表)と意見交換。まちづくり団体の成功事例やあり方などを報告・提言。賛助会員として協力する。 2004.1 トヨタ・アートマネジメント講座(主催:トヨタ自動車・應典院寺町倶楽部)にて、「からほり地域の活動」についてガイダンス。 |
|||||||
2004.2 直木賞の名の由来の直木三十五記念館設立準備委員会発足(事務局:からほり倶楽部)。大阪まちプロデュースとして参加し、主にネットワークを活かして支援を呼びかける。
2004.3 直木三十五記念館設立に向け、直木賞作家・難波利三氏に呼びかけ人を依頼し、快諾はもちろん藤本義一氏、眉村卓氏にもお声がけ頂く。 2004.4 堀江・レンガ倉庫の解体について大阪日日新聞に掲載される。ただの保存でなく商業施設としての活用を主張した。 2004.4 既にHPやメールを通じ各方面に提言していた「タクシー初乗り300円」を国土交通省近畿運輸局に改めて提言。 2004.4 「大阪の背骨 三休橋筋フォーラム」にてパネリストだった安藤忠雄氏が「大阪に対する提案」を会場に振った際、「縦割り行政を観光課を頭に置いた横割りへ」と「緑被率より緑視率」を提案。 2004.6 「空堀 貸 あーとぼっくす」からNHKラジオ生放送。出演。 2004.6 「大阪まちプロデュース」の活動全般について大阪日日新聞に掲載される。 2004.6 当ページの特集「心斎橋ブティック街」の「心斎橋-北堀江くつ通り」ついて「北堀江、高級靴の街に」として日本経済新聞夕刊1面に掲載される。 7月に朝日放送テレビおはよう朝日にて「心斎橋北堀江くつ通り」出演。 2004.6 「山根エンタープライズ(株)」、経営するビル「Y'sピアアクセス心斎橋」での豊富な各種サービスについて、また、北堀江の文化の発信基地とした・貸スペース「そらの部屋」について、業界紙・週間ビル経営に掲載される。 2004.6 「大阪まちプロデュース」の活動全般・生い立ち、学生時代の活動から「山根エンタープライズ(株)」までを「経験とまちづくり活動」と題して甲南大学経済学部講義「モダンエコン特論」(前川知史講師)にて特別講義。 2004.10 「直木賞」の名の由来となった、大阪出身の文豪の「直木三十五記念館」をプレオープン。執行委員(全5名)を務める。 2005.1 CATV9ch(ベイコミュニケーション)出演。「空堀・惣・練・萌」「直木三十五記念館」「竈ダイニング・縁」を紹介。 2005.2 「直木三十五記念館」をグランドオープン。執行委員改め運営委員(4名)を務める。現在に至る 2005.2 「交通取締り改革」として、警察のノルマ主義に発する「わな」的取締り(制限速度を低くなど規制を厳しく設定し、交通標識が木に隠れるなど告知が不充分なまま取締り、指摘されても放置したまま再々取締る)の現状とそれが無くなる方法を首相官邸に提案。自身の速度違反について、確実に超過としたのに不起訴となる。
2005.10 「大阪と文豪たち」と題して直木三十五の甥・植村鞆音氏、正岡子規の孫・正岡明氏、石浜恒夫の娘でエッセイストの石浜紅子さん(なにわの海の時空館館長)のお三方はじめ大阪21世紀協会理事長や直木三十五記念館事務局長など各界の文化人を招いた交流会を開催。(野村継男氏発起による「美男美女なにわを語る第三回」として)
2006.2 アメリカ村のギャラリーにて上記「大阪魅力風景散歩」に空堀長屋再生・惣も追加し、「逆説の天孫降臨」と題する立体作品と共に出展。 |
直
木 三 十 五 記 念 館 文 化 再 生 |
||||||
2006.4〜8 道頓堀川親水デッキ「とんぼりリバーウォーク」御堂筋アンダーパスプロジェクト
道頓堀川親水デッキ「とんぼりウォーク」が、当初計画と異なり、御堂筋(道頓堀橋)下をくぐれないと判断されていたのを、地元説明会で現実的なルートと工法を提案。結果的に、提案したルートと工法で通す方向に。水都の会として関わり始めるも旭堂南陵さん堀井良殷さんらomp独自メンバーのサポートももらって実現。 2006.10 2002年度、街屋集団として取り組んだ「みんなにやさしい水辺の提案」の夢を実現すべく、大阪・北浜の川沿いビルを購入し「地元市民」になる。 2006.11 はびきの市民大学(河内厚郎学長)「街角ベンチャー講座」にて「「まちこわし」は誰がするのか」講義. 2006.11〜 都市型ライフスタイル研究会「アーバンスタイル・ラボ」(大阪府産業デザインセンター主宰)参加。メンバーは杉本清氏、山崎亮氏、藤本英子氏、八木泰秀氏ほか |
親
水 道
|
||||||
(実践 北浜開始)
2006.10 「水の都」再生の実践のために探し求めていた北浜の水辺のビル(のちの「Y’sピア北浜」)を入手。 2006.12〜 北浜まいマップの会(母体は大阪府民環境会議)と大阪まちプロデュース共催で「北浜マイマップづくり まち歩き」 2007.4 NPO法人街屋集団にて「魅力いっぱい・大阪と大阪まちプロデュース」講演
2008.3 北浜・料亭花外楼隣で土佐堀通りに面する旧花外楼ビル(Y'sピア北浜)壁面に「大阪会議顕彰肖像レリーフ」を掲げる。(大久保・木戸・板垣・伊藤・井上らが明治8年三権分立・漸次立憲で合意したことを顕彰。)
2009.1 「大阪春秋 2009年新春号」(新風書房)巻頭対談で橋爪紳也大阪府特別顧問と対談掲載。対談はY’sピア北浜8階で2008年10月に実施。
|
北
浜 再
大
北
|
||||||
(実践 まち歩き観光事業)
2009.4 水都大阪2009事業としてまち歩き観光ツアー「OSAKA旅めがね」スタート。事務局(まとめ役3者の1人)に。第1号エリアクルー(案内人)は平松邦夫大阪市長(水都大阪2009実行委員長)。 2009.8 平松大阪市長も北浜テラスを訪れ応対。大阪市のあり方、知事との関係について提案。 2009.7 大阪川床「北浜テラス」を持続させる機関として北浜水辺協議会設立。事務局長に就任。同11月、日本で初めて民間任意団体として河川敷を包括的に占用許可を得る。 北浜テラスは河川敷にありながら日本で初めて常設の川床となる。 2009.9〜10 太閤園前にあった 使用されていない船着場を使い、大阪水上バス、太閤園、藤田美術館と連携して「OSAKA旅めがね 藤田男爵の愛した美と食ツアー」(以下「藤田ツアー」)を企画・開催。募集を大幅に上回る参加を得、評判となる。 2010.11 大川・桜並木の紅葉に着目し「藤田ツアー」を紅葉の季節に移動して開催。テレビ大阪でツアー紹介と共に太閤園の紅葉から生中継される。予備日を使って視聴者用も開催。好評を得る。 |
観
光 再 生 藤
|
||||||
(箕面船場団地再構築 start !)
2011.3〜2012.5 大阪船場繊維卸商団地組合(箕面船場COM ART HILL運営団体。以下「箕面船場団地組合」)まちづくりマスタープラン策定作業部会委員。 2012.1 「箕面船場駅(仮称)」の位置について作業部会の一任を受け、まちの南端である新船場南橋付近になっていたのを、諸課題をクリアして、「可能な限りまちの中央に近い新船場北橋寄りにする」ことで箕面市と合意。 2011.10 恒例の「藤田ツアー」に関連して、よりアカデミックに藤田傳三郎男爵を知る「藤田傳三郎サミット」(主催OSAKA旅めがね・藤田観光太閤園 後援大阪商工会議所)を開催。基調講演に宮本又郎(阪大名誉教授。近代経営史)パネラーに藤田が創業に関わった関西電力、毎日新聞、太閤園から3氏を迎えた。同じく南海電鉄からも会場参加頂き、4社の藤田とのゆかりを示す貴重な資料も展示。 2011.10.1〜30 「北浜テラス特設船着場」社会実験を浮桟橋式で実施。 約100回 500名の利用があった。 2011.11〜12 「藤田ツアー」3年目を、藤田傳三郎生誕170年に因み、1回17名×10回=170名限定で開催。よりプレミアムに。 2011.11.11 からほり倶楽部初代理事一斉退任し若手に交代。 2012.11 からほり倶楽部ファウンダーに就任。 2012.1-12 箕面船場連合ブロック会(企業自治会。)会計監査委員。 第1ブロック会 会長。 2012.8 箕面船場団地組合 「コムアートニュース」(カラー&隔月刊への変革に伴い要請により)編集委員就任。 2012.10.13〜26 「北浜テラス特設船着場」社会実験をメンテナンスフリーな縦雁木式で社会実験。利便性も現実的であることを証明。12月に地域の人を集めて報告会(第3回北浜の水辺整備を検討する会)。ここで大阪府の河川整備に対する地域代表(2名。もう1人は水辺の建築家・松本拓氏)に選任される。 2012.11〜12 「藤田ツアー」4年目を、藤田傳三郎没後100年に因み、初公開内容を増やし214名の大盛況となる。旧西邸であった大阪市公館の庭園を含め史上初めて3庭園ツアーになる。 2012.12-2013.1 箕面船場団地組合 事業化パートナー企業選定委員会 審査員。 2012.12-2013.9 箕面船場団地組合 創立50周年記念誌編集委員会 委員。 2013.1-2015.12 箕面船場連合ブロック会 バス委員長 2013.6- 箕面 船場団地振興株式会社 取締役。 2014.6.14 水都の会にて藤本英子京都市芸大教授・博士と共に古き良き道頓堀を体感するイベントを主催。橋爪節也先生(阪大総合学術博物館)による大正時代の道頓堀の景観の説明と当時からある雛寿司を体験。道頓堀博物館構想も伺う。講演会場はトリイホールの鳥井学氏が開いた弘昌寺。 2014.11〜12 「藤田ツアー」含むOSAKA旅めがね 大阪市交通局とコラボ。「藤田ツアー」も大盛況。「文楽ツアー」(道頓堀劇場街歩きby山根+文楽劇場バックヤードツアーby豊竹英大夫師匠)も初催行。 2014.10〜2015.9 箕面船場団地組合 団地再整備検討小委員会 事業化計画策定作業部会 委員。 2015.2 直木三十五記念館10周年特別展示 2016.11 「ユニバーサル社会を想像する事務次官プロジェクト」にて大阪まちプロデュースの関わって来たまちづくりについて講演。(国土交通省幹部会議室にて)国土交通省武藤事務次官、厚生労働省二川事務次官、のほか国交省、厚労省、文科省の審議官、課長など幹部の方計10名余に講演及び質疑応答。 2016.12 武部好伸さんと日本映画発祥地であるなんばに碑を建てる会発足。@正弁丹後亭 |
国 交 省 で 講 演 |
船 着 場 社 会 実 験 水
|
10
|
藤
|
箕 面 船 場 再 生 マ
50
バ
振
|
||
(実践 道頓堀 エンタメ街再生 start !)
2017.3 道頓堀ビル購入。 河内厚朗先生と「劇場都市」再生協議。@今井 2017.4 道頓堀1丁目東櫓町会・道頓堀商店連盟 入会 理事会にて「道頓堀劇場街」の歴史を活かしたまちづくり表明。 2017.4 「地域協議会による地域価値を高める北浜テラスの設置・運営」日本都市計画学会関西支部「関西まちづくり賞」(2016年度)受賞。(北浜水辺協議会(設立より2016年までompは事務局長)及びomp川床研究会として) 2017.6-11 日本都市計画学会関西支部「都市計画セミナー」受講 2017.8- (一社)大阪活性化事業実行委員会(「道頓堀リバーフェスティバル」主催。会長千田忠司(道具屋筋商店街会長)事務局:産経新聞 参加80団体) 参加 2017.9 御堂筋80周年記念事業「水辺のソーシャルデザイン検討会」(主催:大阪市河川課)パネルディスカッションに出演。「民によるまちづくり」発表。 2017.12 OSAKA旅めがね事業の運営を(株)インプリージョンに託す。 2017.9-2018.1 観光関連事業者、文化人と「道頓堀体験ミュージアム」運営協議。山根エンタープライズ(株)による事業化決定。 2017.11 道頓堀1丁目東櫓振興町会・道頓堀商店連盟にて道頓堀ビル日本橋船着場活性化計画及び「道頓堀体験屋敷パビリオン」プロジェクト発表。 2017.12- 箕面船場団地組合 長期計画検討委員会 同作業部会 委員。 2018.1 旭堂南陵さんと道頓堀ミュージアムの演芸場使用の協議。 2018.2-4 金比羅歌舞伎劇場・金丸座視察(2/17江戸期劇場現存を自身で確認。3/11劇場機構を建築家六波羅雅一氏と造形作家中村雅英氏と。4/12歌舞伎公演をなにわ名物野杁育郎氏・塾塾原田彰子氏と。) 2018.6 (一社)心学明誠舎 理事に就任。 2018.7.28 第21回なにわ大賞 大阪観光局長特別賞受賞(主催:なにわ名物開発研究会) 2019.3 道頓堀ミュージアム並木座 開館。(名誉館長の河内厚カ先生が脳内出血で開館時は連絡取れず) 大阪市中央区や戎橋商店街のイベントで並木座入館。 2019.10 「道頓堀川も舞台」(主催:いっとこミナミ実行委員会)に近松半二の一生やライバル並木正三を描いてこの夏直木賞を受賞した大島真寿美さんとともに登壇。 2019.10 第1号omp会員で父・功亘 上記登壇を見て1週間後、九州出張先で突然死。 |
キ
|
長
期 計 画 |
道
頓 堀 ミ ュ ー ジ ア ム 並 木 座 ・ エ ン タ メ 街 計 画 |
||||
2020.3 新型コロナウイルス感染症の拡大と緊急事態宣言、博物館休館要請で並木座も休館。道頓堀は歩行者0で壊滅的。
2020.10 3月に予定していた道頓堀並木座1周年記念イベント「芝居町395年目祭り」を実施。文楽義太夫・豊竹呂太夫師匠、河内厚カ先生の対談、直木賞作家・大島真寿美さんと仕掛人山根の対談を実施。 2021.5 大阪船場卸商団地組合(箕面船場 COM)理事に就任 (団地振興(株)取締役は継続) 2023.1 ミナミまち育てネットワーク(事務局:南海電鉄)企画委員会で「大阪エンターテイメントシティ構想」立ち上げに参加。令和4年度文化庁助成を同構想実行委員会で受託成功。 2023.6-2024.1並木座でも25件の文化イベントを開催。 2023.7.21 クロスホテル大阪にて「KABUKI × BUNRAKU in Dotonbori by Dotonbori Museum Namikiza」展示。同展示場で過去最大の来場となる。好評につき2024.1-4月再展示 2023.10.7 キタハマミズム舟寄場OPEN! 2024.3.5 大阪府伝統文化振興事業サポート。関西空港にて文楽と山本能楽堂ミニ公演。 |
公職・所属団体等、受賞等、マスコミ、講演など 公職・所属団体等 (太字が現職)公職 及びその関連2009-2013 中之島水辺協議会(事務局大阪府河川室)北浜地域部会委員 (2012.3 北浜地区は準則特例区域に指定され地域部会解散。)
2008.5-2014.3 空堀地区HOPEゾーン協議会(事務局大阪市都市整備局) 理事
2014.4- 空堀まちなみ井戸端会(大阪市都市整備局参加) 理事2012- 2018年度 中央区自転車適正利用のアピール方法検討会(事務局大阪市中央区) 委員
2011.3-2012.5 大阪船場繊維卸商団地共同組合 マスタープラン策定作業部会 委員
2012.12-2013.1 同団地組合 まちづくり事業化パートナー選定審査委員会 委員
2012.12-2013.11 同団地組合 創立50周年誌編集委員会 編集委員
2017.12- 同団地組合長期計画検討委員会作業部会 委員
2013.6- 船場繊維団地振興株式会社 取締役
2013.1- 同地区 連合ブロック会(企業自治会)バス委員会 委員(-2015.12委員長)
2012.7-2020.12 COMアートニュース編集委員会 委員
2021. 大阪船場繊維卸商団地共同組合 理事所属団体等 役職
2009- 北浜テラス運営:北浜水辺協議会 理事 (2009-2016事務局長)
2018.6- (一社)心学明誠舎 理事
2009- OSAKA旅めがね エリアクルー(2009設立時共同代表兼プロデューサー)
からほり倶楽部(からほり商店街界隈長屋再生プロジェクト)ファウンダー(2001設立理事) 会員
長屋すとっくばんくねっとわーく企業組合(大阪府指令地産第2337号) 理事
2006.2- 直木三十五記念館 運営委員 (2005.2-2006.2準備委員会)2001.4 街屋集団 幹事 (2001から2010まで 「NPO法人」理事 組織変更で現職)
2003水都の会(水都大阪の再生を考える会) 幹事
2006- omp川床研究会 代表
2017- (一社)大阪活性化事業実行委員会 会員
2021- 大阪・道頓堀魅力発信事業実行委員会 理事NPO法人スマート観光推進機構 会員(2012.4〜)
2003- なにわ堀江1500 会員(水知悠之介代表 2003〜2013 NPO法人)(日本初交流発電所跡碑担当(堀江レンガ倉庫)など2006- 大阪文化団体連合会 会員 (-201?大阪府文化団体連合会)
2012- ユニバーサル・ミュージアム研究会 会員
現在活動自体が休止中等の団体みんなの大阪会議 世話人
関西元気創生研究会 研究員
アーバンスタイルラボ 研究員
ガーディアン・エンジェルス・ジャパン関西支部 サポーター会員
まちづくり以外
甲南大学同窓会 評議員(1989〜2016は幹事 2017〜制度変更により現職)
日本李登輝友の会 会員 (2014李登輝先生来阪講演歓迎委員会委員)受賞暦
受賞
大阪まちプロデュース
2018.7.28 第21回なにわ大賞(主催:なにわ名物開発研究会)
大阪観光局長特別賞受賞
omp川床研究会
2017.4.8 「関西まちづくり賞」(日本都市計画学会関西支部)
「地域協議会による地域価値を高める北浜テラスの設置・運営」
(事務局を務めた北浜水辺協議会、他2NPOと同時受賞)
山根エンタープライズ(株)
2011.10.16「緑のまちづくり賞」(主催:大阪府・(社)ランドスケープコンサルタンツ協会)特別賞「長屋再生惣の草屋根」(からほり倶楽部・山根エンタープライズ(株))
山根秀宣
1995.11「道路愛称募集」(主催:大阪市)準入選表彰
1995.7写真 「SWEET水都100選」(主催:大阪市・大阪都市協会) 入選
1998.3小論文・ビデオ「大阪魅力百科発掘」(主催:大阪市)
優秀賞 優良賞 佳作
団体受賞
北浜水辺協議会
(omp山根は設立より2016年まで事務局長)2017.4.8 「関西まちづくり賞」(日本都市計画学会関西支部)(ompと重ねて受賞)
「地域協議会による地域価値を高める北浜テラスの設置・運営」
2009.12.17 「大阪活力グランプリ」(主催:大阪商工会議所)
特別賞受賞「水都大阪2009と水辺の活性化事業」からほり倶楽部
(omp山根は設立7理事の1人。広報、不動産他全般に関わり
現ファウンダー(4名))2014.4.2 「緑の環境デザイン賞」25周年記念「継続優良賞」受賞(主催:財団法人都市緑化機構 第一生命保険株式会社) 国土交通大臣賞受賞(からほり倶楽部)
2007.10.29 「土地活用モデル大賞」理事長賞受賞
(主催:(財)都市みらい推進機構)
「からほり長屋再生事業」(からほり倶楽部/長屋すとっくばんく企業組合)2006.5.23 「緑のデザイン賞」国土交通大臣賞受賞
(主催:財団法人都市緑化機構 第一生命保険株式会社)
(からほり倶楽部)2005年7月28日 第八回なにわ大賞(主催:なにわ名物開発研究会)
大賞受賞(からほり倶楽部 代表六波羅雅一)
2013.5 ・・・
出版物 著作 <執筆・提案・発信>
1999〜 当サイト
2000.6〜 メールマガジン「omp通信」配信(ほぼ月1回発行)執筆・発行。
2003.2 大阪府 提案公募型事業にて「みんなにやさしい水辺の提案」報告書 NPO法人街屋集団 として(共著)
<書籍・雑誌 執筆>
2004.12 「大阪力事典」(橋爪紳也編。創元社)
長屋再生複合文化施設「惣」の誕生について執筆。2006.4 「大阪府文化芸術年鑑2006年版」(大阪文化団体連合会編・竹林館)
「その場の価値を共有できる組み合わせ」・・・劇場的な大阪文化について寄稿。2008.4 「建築と社会」4月号((社)日本建築協会)
特集「2011年宣言」に「3年後のまちへの提言」寄稿。2009.1 「大阪春秋」新春号(新風書房)
巻頭対談(vs.橋爪紳也氏)「水都大阪2009へ向けて「大阪川床北浜テラス」の試み」omp活動履歴と北浜テラス誕生秘話を語る。2011.3 「上町学 再発見・古都おおさか」(学校法人追手門学院)
「空堀 ―ロマンに満ちた長屋文化―」からほり倶楽部のしてきたことについて寄稿。(初出は産経新聞コラム)2011.8 「ランドスケープデザイン」2011年10月第80号((株)マルモ出版)
「北浜テラスのできるまで」泉英明氏、松本拓氏と共に寄稿。2013.12 「河川」((公社)日本河川協会)
「民が作り育てる水都大阪の風物詩」と題して北浜テラスについて泉英明氏、松本拓氏と共に寄稿。2014.11 100周年記念誌「行動する技術者たち 行動と思考の軌跡」((公社)土木学会)
「身近な風景へのこだわり 信頼から生まれる「景観まちづくり」」藤本英子(京都市芸大教授 博士)の「仲間」として「御堂筋アンダーパスプロジェクト」について寄稿。2016.8.31 「ひとが優しい博物館 ユニバーサル・ミュージアムの新展開」(青弓社。広瀬浩二郎氏ほかと共著)
第17章ともに歩く、ともに楽しむ、ともに作る――目に見えない“大坂”を探るまち歩きプランの企画 を 執筆。
2017.9 日本都市計画家協会会報「PLANNERS」特集「豊かな街は自分で作る・大阪の都市デザイン特集〜公・民・官の連携によるボトムアップのまちづくり」の一環として「北浜テラス−公共空間利活用とエリアブランディング」執筆。
<冊子等でのomp紹介(共働活動は省略) 書籍等制作協力>
1999.3 大阪市都市観光課企画のガイドブック「大阪魅力百科わがまちウォーク」(JTB編)作成協力(部分タイトル考案、文・図校正)
2002.3 冊子「博物的"新"大阪文化名鑑」(大阪ミュージアム文化都市研究会著・大阪ガス(株)エネルギー・文化研究所発行)に当ホームページ(トップ、大阪・関西にゆかりのある人物集、まちの骨格、大阪の掟)が掲載される。
2002.3 冊子「感性で織る大阪」((財)大阪都市協会発行)出版に際し、まちの有識者39名の1人としてアンケート形式での執筆協力。
2003 冊子「市民発・大阪まちづくり」((財)大阪都市協会発行)にて「いちどのぞいてみたいNPO・市民活動団体」で「大阪まちプロデュース」活動紹介掲載。
2004.5 冊子「大阪の住民と自治」((社)大阪自治体問題研究所)に「大阪まちプロデュース」活動紹介掲載
2005.3.14-17放送 朝日放送テレビ「歴史街道〜ロマンへの扉〜」制作(演出明智絵美氏)に協力。「直木三十五」「空堀・坂と路地と商店街」「瓦屋町探訪」「谷六・長屋と石畳」の4回
2009.8 「建築と社会」((社)日本建築協会)「このまちが好き」で「大阪まちプロデュース」掲載。
ほか。
講演 山根秀宣個人や大阪まちプロデュース独自のものを中心に掲載。これ以外にNPO法人街屋集団で参加した「世界水フォーラム」講演やからほり倶楽部、北浜水辺協議会として行ったものもあります。2001.11.5 京町堀ほろ酔い倶楽部(イベント・文化仕掛け人学校主催)にて「ひとりからのまちづくり(大阪まちプロデュースの活動)」講演
2002.8 大阪青年会議所主催のイベント「創ろうえぇまちおおさかinこまがわ」にて「サブリース(転貸)でできるまちづくり・・・惣」をスピーチと展示で発表。
2003.6.12 「賃貸住宅フェア2003inOSAKA」(主催・全国賃貸住宅新聞/会場・南港インテックス大阪)にて講演
2004.6.2 甲南大学経済学部モダンエコン特論講義(前川知史先生)にて「経験と街づくり活動」講義。
2005.3.3 「第8回ビル経営サミットin九州」(主催・(株)ビル経営研究所/会場・福岡市天神ビル)にて「九州活性化に向けた先進的取り組み」パネリスト出席。
2005.3 大阪市立難波市民学習センターにて1か月間 市民が主役の街づくり講座を実施。「あなたの思いをまちに活かそう」講義・コーディネーター。(主催大阪市)
2005.5 大阪青年会議所(JC)不動産倶楽部(REC)第4回勉強会にて講演「不動産 街づくりからの発想」(山根エンタープライズ(株)代表取締役/大阪まちプロデュース主宰)
2005.10 上町台地からまちを考える会主催の「上町台地100人のチカラ」にて「市民の目からのまちづくり〜大阪まちプロデュースの考え」講演。
2006.3 「ひと・まち・夢im中之島」(主催:大阪市コミュニティ協会・ラジオ大阪)コメンテーター
2006.5 「枚方創造都市会議2006」(主催:枚方フォーラム 共催:天の川七夕星まつりの会)「からほり倶楽部と市民」事例報告
2006.11 はびきの市民大学(河内厚郎学長)「街角ベンチャー講座」にて「「まちこわし」は誰がするのか」講義
2007.1.27 muching vol. 1 つながってゆく「街」と「人」にて「まちは、専門家だけには任せられない!〜大阪好きが大阪を変える〜」講演
2007.3 大阪府民環境会議(OPEN)セミナーにて基調報告「まちづくりだからつながれる」講演
2007.4 NPO法人街屋集団にて「魅力いっぱい・大阪と大阪まちプロデュース」講演
2009.6 「第28回ビル経営サミットin関西」(主催・(株)ビル経営研究所/会場・大阪国際会議場ビッグキューブ)にて「付加価値を生むビル経営」パネリスト出演。
2010.4 NPO法人街屋集団 定例会「日本初。「公(コモン)」の志で「プロ」のまち案内。〜OSAKA旅めがねエリアクルーの想い〜」
2010.11 明治連合振興町会 女性学級「地域の魅力をまちの誇りに」
2011.2 以和貴会(大阪市教員女性管理者会)ホテルアウィーナにて「「まちこらし」は誰がするのか」
2011.3 大阪ガス ビル繁盛セミナー「大阪を元気にさせるビル活性化術」(ホテルニューオータニ)
2011.10 大阪大学大学院工学研究科(西田純二先生)現場学習にて北浜テラス説明後本町橋までクルーズ案内、空堀の長屋再生を説明。
2011.11 京都大学大学院安寧の都市ユニットにて空堀の長屋再生、津波防災センター、北浜テラスを案内。
2014.2 「淡海の川づくりフォーラム」にてスペシャルセッション・ゲストとして北浜テラスの実施経緯を発表。嘉田由紀子滋賀県知事は大阪府の北浜水辺協議会への篤い信頼に感心される。
2015.11 大阪府立大学まちライブラリー主催「大阪まちの仕掛け人トーク まちに込められた、人の想いを知る 大坂の川床・北浜テラス編」にて、「北浜テラスができるまで と それから」を人の側面から講演。「何となく知ってたけど整理されてわかりやすかった」と好評を得る。
2016.7 「都市を変える水辺アクション」発刊記念 著者泉英明氏とアクションプレーヤー山根秀宣で「水辺アクション」語る まちライブラリー@森ノ宮Q'sモールにて
2016.11 国土交通省事務次官会議室にて ユニバーサル社会創造事務次官プロジェクトで 市民目線のまちづくりとして「なんでやねん!のまちづくり」講演。以後民間主導のまちづくりヒアリング増える。
2017.2 高石商工会議所「空堀商店街視察研修」講師
2017.4 姫路まちづくり喫茶 「からほり倶楽部の活動」
2017.7 ラウンドおおさか@ギャラリー風「北浜テラスができるまでとそれから2017」
2017.9 大阪市河川課主催御堂筋80周年記念事業「水辺のソーシャルデザイン検討会」にて「民によるまちづくり」
2018.5 甲南大学法科大学院学部生講義「実践ビジネス法務」にて「大阪まちプロデュース〜「大阪をつくる」夢」
2018.18 熟塾「大阪まちプロデュースの活動と北浜テラス」
2018.10 桃園地区地域活性化協議会「ふれあい食事会」にて「直木三十五について」
2018.10 賃貸住宅フェア (公財)日本賃貸住宅管理協会「まちづくりと不動産 もともとある魅力による再生」
2019.4 大阪大学みちまちコミュニケーション研究室「大阪の隠れた魅力を活かす3つのまち再生プロジェクトと持続可能にする仕組み」
2019.6 甲南大学法科大学院学部生講義「実践ビジネス法務」にて「大阪まちプロデュース〜「大阪をつくる」夢」
2019.9 大阪市生涯学習センターまちづくり市民大学(いちょうカレッジ)プレ本科「市民が引き出したまちの魅力」
2019.10 桃園地区地域活性化協議会「ふれあい食事会」にて「道頓堀はブロードウェイ」
2019.10 道頓堀商店会 オーナー部会「芝居町・道頓堀復活にかける夢」
2019.11 大阪市中央区役所主催 中央区の歴史と文化を活かした生涯学習「日本のブロードウェイ 劇場都市道頓堀のいま・むかし」(企画オフィスオルタナティブ)
2020.1 大阪市中央区役所主催 オープンミナミ 「道頓堀ミュージアム並木座」ミナミの仕掛人によるトークイベント(ウラなんばの牧さんと)
2020.8 はびきの市民大学「道頓堀ミュージアム並木座による劇場街歴史ブランディング」
2020.7 京都橘大学 都市環境デザイン山岸准教授 「地域魅力を活かしたまちづくり」
2020.9 (一社)心学明誠舎「道頓堀2026にかける並木座の夢から芝居町道頓堀の歴史を活かして〜」
2021.11 桃園地区地域活動活性化協議会「人が優しい空堀まち歩き 企画・騒動記」
2021.12 西俣さんとまち歩き「知られざる道頓堀」
2022.5 大阪 南税務署「大阪のコアの魅力をカタチに」
2022.10 西村幸夫町並み塾金沢「大阪・空堀の長屋再生と北浜テラスそして道頓堀並木座そのブランディングとマネジメント」
2022.11 大阪府公開講座フェスタ「世界的劇場街「道頓堀」の歴史をひもとく」
2023.2 ミナミまち育てネットワーク企画委員会「世界的エンタメ都市「ミナミ」の歴史をひもとく」
2023.10.13 大阪大学工学部建築設計米津先生「まちのあるべき姿を求めて〜既成概念を越えて、僕らで事例を創り、示す〜」
2024.1 一般社団法人南納税協会 新春落語講演会「劇場街「道頓堀」の復興 並木座仕掛人の挑戦」
ほかヒアリング・インタヴュー多数。
お問合せ
大阪市西区北堀江1‐6‐24Y'sピアアクセス心斎橋4階
山根エンタープライズ(株)内大阪まちプロデュース
TEL.06−6538−4880 FAX.06-6538-4889
omp@yamane-e.comメールマガジン「omp通信」(ほぼ月1回発行)配信希望の方は
その旨上記アドレスまでメール下さい。(無料)
1回が1万字を越えることもありますので、
携帯電話よりパソコンで読まれることをお勧めします。マスコミ (1994〜5読者投稿 産経新聞(談話室・主張)(掲載多数))
(2001.4発足からほり倶楽部(空堀商店街界隈長屋再生プロジェクト)
関連のマスコミ出演は省略)2002.3高知新聞「大阪の中の土佐」
2002 上方芸能「イベント・文化仕掛け人学校卒業生の活動」
2002.12.23 毎日新聞「不況下の歳末商戦・ブランド品サマサマ」
2003.6.25 読売新聞「装う・ノリはラテン系 御堂筋ブランド街にポスター」
2004.4 大阪日日新聞「堀江レンガ倉庫」
2004.6 NHKラジオ「空堀 貸 あーとぼっくす」
2004.6 大阪日日新聞「大阪まちプロデュース」
2004.6 日経新聞「北堀江、高級靴の街に」
2004.7 朝日放送テレビおはよう朝日にて「心斎橋北堀江くつ通り」
2004.11 「週間ビル経営」「効果的リノベーションで高稼働に」
2005.3 「週間ビル経営」「ビル経営サミットin九州 速報]
2006.5 G+(読売新聞のCATV)「読売ザKANSAI」「長屋を見直そう」出演
2008.10 G+(読売新聞のCATV)「読売ザKANSAI」出演ほか民放TV各局、新聞5紙、ラジオ、雑誌等で「大阪川床・北浜テラス」取り上げられる。
(以下、北浜テラス(北浜水辺協議会 事務局長(広報担当)関連の
マスコミ出演は省略。)2010.12 テレビ大阪「ニュースゆう」生中継に出演。「OSAKA旅めがね 紅葉の季節に藤田男爵の愛した美と食ツアー」
2014.3 よみうりテレビ開局50周年記念特別番組「KANSAIショセツ部」出演。「道頓堀は江戸時代ブロードウェイだった!?」漫才師ダイアンとあるく。
2016.5.27 「大阪ほんわかテレビ」(読売テレビ)「あなたの知らない関西〜大阪の”今”・”昔”を大調査」として「道頓堀はブロードウェイ!」だと紹介し、道頓堀五座のマップを手に、タレントの武内由紀子さんと劇場跡や今井、たこ梅を訪ねる。
2017.7.13 テレビ大阪「大阪一番ラバー」に心斎橋ブティック街について制作協力
2019.3〜4 新聞各紙、ラジオ、テレビ出演 詳細→「道頓堀ミュージアム並木座」
2021.4〜5 KOREA TODAY 4月号,5月号「大阪のあるべき姿を山根秀宣」特集
2021.5 NHKラジオ(AM第1)「時の人旬の人」にて30分全国へ生放送。「道頓堀ミュージアム並木座仕掛人山根秀宣」さん
主宰 山根 秀宣(やまねひでのぶ) 経歴 1965.11 大阪市都島区に生まれる。
1966.1 千里ニュータウンに転居。
1972.4 吹田市立青山台小学校入学 学研まんが「ものしり百科」、伝記「エジソン」など愛読。何にでも興味を持ち、一部の友人らから「ものしり博士」と呼ばれる。家庭教師の阪大生が解けなかった図形の面積問題※を解く。 ※正方形の4頂点から内側に1辺を半径とする1/4円を描き、4つの重なった部分の面積を求める。1978.4 吹田市立青山台中学校に入学。
【読書等】
朝日放送テレビ「COSMOS」にはまり、ブルーバックスの「相対性理論の世界」「一般相対性理論と特殊相対性理論」を熟読。理論の基本原理を知ると共に、アインシュタインの問題の解き方※に感銘し、その後の人生にたびたび応用。 ※与条件を仮定した特殊な状態で理論を打ち立てて、その後与条件を動かして一般的な理論を導く手法。 従兄弟からもらった「頭の体操」1〜6巻も愛読。柔軟性は養われたと思う。【工作等】
技術授業で学んだラジオ制作を応用して、1.5V電池から100Vをつくる器具つくり、10W蛍光灯をつけたり、友人をびっくりさせたりした。【学業】
小学校時代の雑学で中学で学ぶべき多くのことは知ってたので、予習も復習もせずだんだん遅れていった。数学だけは、2年3年次、考える力を養うため「予習するな」という川本先生や池田先生のおかげでヒーローになった。当てられて解けない生徒はどんどん立たされていき、誰かが正解したら全員座れるというゲーム形式の授業が楽しかった。クラス1,2を争う「救世主」だった。
一方、池田先生の悩みはそんな山根の遅刻癖で、ある日隣のクラスでの授業は1時間中「うちのクラスの遅刻の帝王は」と私をネタにしておこなったそうだ。池田先生からは相撲の春場所観覧に誘われたこともあった。【「ドレイ」から「四天王」】
荒れた時代だった。校舎の裏でカツアゲやリンチはよくあった。
小学校時代から続くいじめの解消を狙って反発するも束になってやられるが、2年生でいじめた相手が全員他クラスになり、突然クラスのリーダー4人組の1人となる。相撲など大いに暴れたがトップの自分がボケて突っ込まれることでいじめの無いクラスをめざす。【まちづくりめざめ】
1979 遅刻防止のため、「早く起きよう」とは思わず、自宅から地元の中学校への最短距離を調べるときに、地図を自作したのをきっかけに、千里や大阪を題材にして、より理想化した空想地図を多数創作。(14歳前後)千里ニュータウンの構造を研究。
同時に大阪・関西ネタを中心に興味あることの新聞スクラップを始める。歴史ある追手門学院高等学校(大阪偕行社)に進学。(堺屋太一氏は追手門学院小学校OB。)
【テーマ展示】〜1982
中学1年で教室展示「地球は生きている」リーダー。父の電器屋の回るPOP看板に、ブラックライトと蛍光塗料を使った動く展示光る展示を行い好評を博す。小さな星屑はいちいち描かず蛍光性の洗濯洗剤を使った。(順位無し)
高校2年体育祭デコレーション(高さ6m幅6mのクラスのシンボル人形)製作リーダーを務め、全校優勝を果たす。担任松田一郎先生の方針で我がクラスだけ厳しい時間制限が課せられ「史上初めて動かす!」計画は時間切れで叶わなかったが、思い出の修学旅行を記念し「北海道のウシ」とした着想の物語性と、制限ギリギリの大きさと、絵がウマいY(現河出書房新社取締役)による顔のかわいさで、シンプルながら優勝することができた。
リーダーは3人でつとめ受賞後の挨拶は山根がした。全校生徒千名弱の前で、足が震えるのを必死で押さえ込んだ。
高校3年文化祭で教室展示・アトラクション「お化け屋敷」制作リーダー。実際に水を張った池を作り「生首」が飛び出すなどリアルさを追求する一方、かがまないと通れない暗い狭い通路をつくり、歩き心地やコンニャクを顔に当ててヒヤッとさせる(臭くなり過ぎて途中でやめたが)など、
暗くなると敏感になる様々な感触でびっくりさせる、迷わすことで製作空間以上に時間を楽しんでもらうなどして、「一番すごかった」と好評を博す。1983.2 課外活動の柔道と空手が腰痛でできなくなり、また一方で「大阪城築城400年祭り」に向けたサンケイ新聞の連載「進取のまち大阪」(堺屋太一氏)がきっかけとなり、大阪の町歩きと魅力の研究をはじめる。(同連載は単行本化され「先取りの群像・大阪―関西過去・未来考」(1983PHP研究所)となる。)これが後の大阪まちプロデュース活動の直接的動機となる。
免許 宅地建物取引士 少額短期保険募集人
防火管理者 旅程管理主任者 大阪検定2級
小型船舶操縦士1級 無線レーダー級
スキューバダイビング アドバンス級
普通自動車・中型2輪免許証
学位
経営学士(会計学・卒論テーマ「都市経営」)甲南大学
都市計画論 都市経営論 履修 放送大学
都市計画基礎・アドバンス 修了 都市計画学会関西支部
商業施設企画・調査 修了 山永明博先生
東アジア近代史 台湾 群策会 李登輝学校 修了1985.4 共通一次の結果は神戸大学に挑戦できるレベルと言われたが、(それまでが悪すぎて)わかった頃には安全を見た某国立大学経済学部に願書を出していて、「甲南に行くからこの大学は受験にも行かない」と父と論争。ついに一睡もせず「その大学の方向にだけ行く。受験するかしないか知らん」と出たが友人と出会い一緒に受験し合格する。
が、ポートピア'81など都市計画・都市経営の先進都市「神戸」に行きたくて、また祖母の憧れの名門「甲南尋常科」であったことから甲南大学経営学部に進学。(英国社でなく英国数で受験。数学は自己採点で満点。)
1985.8 普通自動車免許取得時、同時に中型2輪免許も取得。
1986〜8 学生会館の学生自主運営を担当する業務に従事(副委員長)。館内展示・アトラクションではラウンジをジャングルに変えたり、不思議の国のアリスの世界を再現。学園祭キャンパスフェスティバルの企画も担当(副委員長兼パートリーダー)。オープンステージ企画ではギャルコンテストとその優勝者を男達が争奪戦を繰り広げるギャル取りを担当。大先輩の熱演(隠し棒以外全裸)も頂き大いに受ける。また学園祭参加者を広く募るため「前例が無い」との声を説得し、甲南大学・学園祭史上初めて、ステージ企画にスポンサーをとる。
1989.3 甲南大学経営学部卒業。都市経営をテーマに卒論をまとめる。卒業旅行でアメリカ各都市を訪問。中でもシカゴ、ニューヨーク、サンフランシスコなど「歩ける街」が気に入る。(これまでにオランダ、ドイツ、スイス、オーストリア、フランス、オーストラリア、アメリカ、韓国、台湾を訪れる。)
1989.4 都市計画も手がける一部上場の航空測量・総合建設コンサルタント会社に就職。東京支社に研修配属後大阪に正式配属。東京勤務時に猛烈なラッシュを経験。「東京一極集中で人が死ぬ」のを予感し入社論文に記載。(後に、営団地下鉄脱線事故で現実となる)。また、どこにでも、深夜でも少年少女を含む多人数がいる異常な状況を体感し、新たな不健全性を感じる。(これも後に、援助交際などで表面化し、親の放任教育が問題になる)
大阪では緑のマスタープラン、親水水路設計などの設計業務や路面性状管理システムなどの企画・長期計画業務を好んで営業。営業成績が悪ければ、会社の為のどんな良い意見も聞いてさえもらえぬ会社にあって、会社の向上のための提言を受け入れさせるため、毎日深夜まで残業しつづけ、提案も多々聞き入れられた。必然的に営業成績は上がり、3年目には係長と同額をノルマとされるも半期で達成。退職時には「営業実績が同期で日本一だ」と部長言に強く慰留され、常務にも慰留される。しかし、ガツガツ営業するという感じではなく、好きなことは喜んで営業したが、それよりも客先に可愛がられ、自然と舞い込んでくる仕事が多かった。(こなすのが大変だった。)
1992.3 家の事業として育ちつつあった、不動産経営業・山根ビルエンタープライズ(屋号。当時)がバブル崩壊の影響で問題が多発し、サブビジネスとしてでできなくなりつつあり、退職してこれの唯一の専属従事者となる。
創業した父ほどの経験が無い分、創業からの資料をデータ化し、誰でも合理的判断ができる仕組みを作る。
一方退職時の溜まっていた有給休暇中に、小型船舶操縦士1級免許取得。同年11月、レーダー級海上特殊無線技師免許取得。何もしないと流れてゆく「船」は、それまでの地上の論理と異なり視野が広まった。4月から翌年3月、NHKテレビ放送で中国語習得。「項羽と劉邦」や「三国志」の中国への憧れで。
1993.5 中国(上海・蘇州・桂林・成都・西安・北京)を単身視察。各地・各人の生活格差に驚く。反日教育のひどさも体感。将来の分裂を予感。
1994.3 放送大学「都市計画論」「都市経営論」修了。
1994.6 アメリカ(シカゴ・ニューヨーク・フロリダ(ユニバーサルスタジオとディズニーワールドMKD))視察。
1994〜5 産経新聞に投稿・多数掲載。掲載内容(政治,報道,関空,震災避難所,APEC大阪について等・・・)。司馬遼太郎氏(産経新聞出身)の連載「風塵抄」に、自分の文章に触れたような部分があり感動。
1995.1 阪神・淡路大震災の救援活動。避難所になっていた甲南大学学生会館(学生時代に管理運営委員をしていた)を1人の後輩と本格的に立ち上げ、システム化。あとを現役委員に引き継ぐ。最大時500名を収容。(4月15日の解散式で、現役委員たちは避難者の皆さんから「感謝状」を贈呈された。)
また、パンやにぎりめしなどデンプン中心の食糧支援に対し、避難所で流行していたインフルエンザに対応するため、白血球の素となるタンパク質たっぷりで、かつガスが無くてもOK、調理不要の「ゆで卵」400個を届ける。
1995〜 大阪府「知事への提言」を発端に大阪市、兵庫県、関空会社・・・などに提言を展開。(上記提言等履歴参照)
1996 (自動車)優良運転者表彰(大阪府交通安全協会)
1997.12 都市研究成果に基づき大阪・心斎橋近くの堀江にビルを取得。不動産経営事業を別の株式会社と統合して法人化。会社の目的に都市計画の研究・調査を追加。(この2年後「堀江」地区がブームになる。)
1998.2 山根エンタープライズ(株)現本社にて事実上の創業。(父・功亘と。) 前年競売で取得したビルは不法占拠者等を追い出して入居率40%からの出発。1年半かけて満室にし、その後も満室ベースで推移。防火管理者取得。
1999.2 スキューバダイビング免許アドバンス級取得(前年オープンウォーター級取得)。この際、大阪弁を研究した言語学者ダニエル・ロング氏(現東京都立大学助教授)と出会い、大阪文化について意気投合。「言語学者だったら、いい研究者になっていると思う」と言われ言語や文化に対する考え方に自信を深める。
1999.4 都市研究に有利な大阪市中央区島之内に住居を遷す。空堀商店街が最寄の生活。(この2年後「空堀」地区がブームになる。)
1999.6 上方芸能主催「イベント・文化 仕掛け人学校」(リンク集参照)にて実践者から文化、まちづくりを学ぶ。
1999.8 まちづくりNPO「街屋集団」(リンク集参照)に参加。まちづくりの実践者同士の意見交換と同時に提案。ここで翌年、数学者・都市計画学者長田靖宏氏(現大阪国際大学助教授)と出会い、地下鉄建設計画について意気投合する。
1999.9 好みがかなり異なる?嫁と結婚し、物の見方が広がる。
2000.7 商業施設コンサルタント業務(商業施設の企画・調査。講師:山永明博先生)履修。
2000.7 注目されていないが広大な緑地もある朝潮橋でRCC(整理回収機構)より1Rマンション27戸のビル取得。入居率37%だったが半年で満室にする。
2001.4 空堀商店街長屋再生プロジェクト(からほり倶楽部)設立に参画。
2001.7 一児の父となる。赤ちゃんがいることで話しかける人が増え、また色々教えられ、商店街の人の輪を、あらためて実感。山根エンタープライズ(株)の社長に就任。
2001.9 まちづくりNPO「街屋集団」、非営利特定活動法人として認証を得、理事に就任。
2002.5 大阪・天六「住まいのミュージアム」(近世以降の住宅や暮らしの博物館)を山永先生(2000.7参照)と共に見学。江戸期の不動産経営書を知る。(日本は当時から資本主義が根付いていたことを実感。)
2003.5 NTT西日本の光ファイバーを賃貸マンション業界で初めての方式で導入(NTT西日本談)。光ファイバー通信のリーシング(利用者に成り代わってNTTと契約し、初期費用を利用者から定額利用料で回収するシステム)も実施。
2003.9 賃貸マンション業界では珍しい「阪神優勝記念10月分家賃無料キャンペーン」(大阪地区)、「ダイエー優勝記念!家賃丸1か月分以上無料キャンペーン」実施。(本業の不動産経営でもハード、ソフトともアイデア経営)。
2003.10 第2子誕生。
2003.11 衰退する繊維産業が集まった団地・箕面船場COM・ART・HILLで、経営しにくいとされる大箱オフィス&倉庫ビル取得。入居率50%。箕面船場地区の活性化も視野に入れ奮闘。その後、1軒入居と同時に、最大顧客で行儀が悪かったテナントが出て行き入居率35%となる。(退去が先ならば25%になっていたところ。)
倉庫仕様で「何も無い」のを逆手に取り、幅広い活用や契約条件に柔軟に対応しながらリフォーム(改装)、コンバージョン(用途変更)を進めてゆく。
2004.11 箕面船場の地域性を活かしたビル運営について「稼働率35%→75%の改装術」として業界紙・週間ビル経営に掲載される。
2005.3.3 「第8回ビル経営サミットin九州」(主催・(株)ビル経営研究所/会場・福岡市天神ビル)にて九州最大の不動産管理会社社長と不動産経済アナリストと共に3者でパネルディスカッション。自社のリフォーム事例紹介やまちづくりと不動産の関わりについて話す。
2006.5 第3子誕生。
2006.6 (会社が宅地建物取引業免許取得)
2006.10 北浜の川沿いビル取得。
2007.2 少額短期保険募集人 試験合格
2007.12 宅地建物取引主任者(現宅地建物取引士) 試験合格 翌年12月資格取得
2008.4 長男小学校入学。学年で28名!超少子化(南小学校)
2009.4 旅程管理主任者(ツアーコンダクター) 試験合格
2009.7 なにわなんでも大阪検定(大阪商工会議所)2級合格(1800余名中34位。初年につきこの年は2級が最高位。)
2012.3 実家近く(千里ニュータウン)に居を構える。千里も少子化(小学校ひと学年30余名)
2012.7 家族でモンゴル旅行(国際交流NPOもみじ味方さんのお誘い)
2017.3 道頓堀で道頓堀通と川に面するビル購入。
2018.12 山根エンタープライズ(株)創立20周年・道頓堀ビル竣工・まちづくり2賞受賞記念「感謝の会」開催
2019.10 父で山根エンタープライズ(株)創業者山根功亘逝去
に戻る サイトマップ