この場所は、明治22年、わが国初の交流発電所が設けられた地である。
その発電所の隣に大正2年に建てられた変電所が・・・、
幾多の変遷を経ながらも、90年に亘りこのまちを見てきたこのレンガ倉庫が
いま、その命を閉じようとしている。
所有者である関西電力(関電不動産)側により
歴史的価値の調査などの立ち入りは、一切拒絶されたまま、
解体・撤去され、
その跡地に、現在建築バブル中の超高層マンションが建つという。
(しかし既にマンション建築バブルの崩壊が始まっており、
完成後の想定価格での販売も危ないのではないかと思われ、
レンガ倉庫破壊・マンション化の事業自体が収益事業かも不明で、
一方、統廃合された学校や幼稚園は受け容れ体制も充分でないと思われる。
確実なのはまちの独自性が消え、空が消え、日陰が多くなること・・・だと思うが。)
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2004年4月2日(金)13:30 防音シートが張られてゆく。
南西側から 近景 南東側から
このすぐ南側に道頓堀川が有り、
川岸の土地もセットになっているので
今後の河川交通との連携も図れたのだが。
見よ、このまたとない好立地。ライトアップされた姿も想像して欲しい。
西は大通りの「なにわ筋」に面し、駐車用に丁度良いスペースを空けてレンガ倉庫が鎮座。
道頓堀川からも一望。現在も荷揚げ用と思われる架台が川面に突き出し、その下に浮き桟橋がある。
背後は左(西)からマンション、駿台予備校、右手(東隣)が大野記念病院。
超高層マンションが建てば空は削られ日陰になるはずの背後のマンションは
SOHO利用が多く住民が少ないので大きな反対運動にもならず、
他の関係者はマンションが建った暁には一部利用しさせてもらうことで交渉成立。
それら自体はいい。
だが、大阪にとっては非常に残念である。
空の見える、すこしゆっくり歩けるまち、堀江が
キタやニューヨークの高層ビル街のように暗くなり、
みんなが楽しんで入れたかもしれない場所が、
防犯上、他人を拒絶する場所になる。
水都大阪復権に欠かせない「川の駅」になれれば、
水辺を楽しく活用するのに最適だった得がたい場所が
既に過当競争になっている一高層マンションに
使われてしまう。
そして
風格と由緒(日本初・交流発電の地)のあるレンガ倉庫を破壊して・・・。
(後の60Hzのはじまりでもある。その後東京が50Hzを取り入れ
国内が2分されるきっかけとなった)
参照「電気主任技術者制度の歴史」サイト
参照「電化の歴史」サイト
これは、大阪のまちづくりにおいて
取り返しのつかない、一つの大きな「失敗」だと思う。
今後、
まちづくりにおいて、こんな失敗をしないためには
どうすればよいのか?
東京の石原知事はうまく民間センスを把握して
東京都政の質は飛躍的に上がったとompは見ているが、大阪はどうか。
また、まちや文化のことを考える姿が見えやすい「大阪ガス」と
一方の「関西電力」の違いはどこから来るのか?
背は高くなくても、”無建築空間”である川沿いで大通り沿いでもあり、目立つ。
なにわ筋に面している。
(とうとう防音シートは張り終わった。)
お向かいのフレンドリーさんより撮影。
右後方は八角形の湊町リバープレイス(なんばハッチ)
難波も近い。
(この写真を撮影中に敷地内の大きな木が倒された)
もう1本北は堀江のメインストリート「タチバナ通り」
平日の昼間(金曜14:00ごろ)だが、4月2日で春休み中のせいか
若者や観光客もぞろぞろ。(写真は撮影の都合上少しすいた時に撮影)
なんで大阪はこんな「まちがい」をしてしまうのか!
関電だけではない。大阪市も色々、魅力向上のチャンスを台無しにしている。
同時代に生き、堀江にいながら、この「まちがい」を止められないのは
とてもつらい。
(水都大阪の川が埋め立てられたときと同じではないか!
後世から恨まれることを怖れる。)
・なんでこんなことになったのか?
・誰も止められなかったのか?
・関電には採算性より、もっと民間企業っぽい
「いっちょやったろか」という発想や、
お客のほうも見た経営は期待できないのか?
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などについて、今後、これを機に逐次考えゆくことにする。
西道頓堀発電所について
山根さん、Mさん。西道頓堀発電所(跡)の保存について、私も数年前
から、密かに関西電力はじめ、各方面に働きかけ、Mさんとも話し合う
などして、努力してきた経緯からいって、非常に残念です。
もう少し、早く(バブル経済のときでも)対応していたら、
残っていたかもしれません。
この建物にかかわって、動いてくれた方は延べ100人ぐらいになると
思います。力のなさを感じます。
山根さんのような立場で発言してもらえる方が
早い段階でもっと多ければとも思います。
(対応可能な分野というのは、人によって大きく異なります)
山根さんのホームページの立ち上げは、今後の街づくりのあり方に一石を
投じることになると思います。
しかし、家のパソコンの調子が悪くて、しばらくアクセスできない間に
事態が決定的瞬間を迎えることになったのは、何ともいいようがありません。
思い起こせば、数ある行政課題や市民の関心事の中で水都再生に心を
よせるきっかけになったのもこの発電所でした。
私の入手した資料では、これが日本初の交流式発電所そのものであり、
その入手先として、Mさんに東大阪の会社をご紹介したのが、2年ほど
前のことでした。
その後のMさんの保存にかけるご努力に対して、私も心から敬意を
表したいと思います。
Mさんの「大阪人」の原稿では、確か発電所の建物そのものだと記載されて
いましたが、ご本人は変電所だと確認していただいたようです。
しかし、私は今でも発電所そのものだと信じたいと思っています。
この発電所のもつ「東京なにものぞ」という、大阪人の心意気など
素敵なストーリーに魅せられたのは私だけではないでしょう。
今回のことを通じて多くの方にもっと身近な問題として関心を持って
もらいたいものです。
(2004.4.3 F)
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西道頓堀川のランドマーク、最後の雄姿
(2004.4.16 M)
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4月6日(火)大阪日日新聞地域情報ページ「なるほど大阪」(第10面全段)
に掲載されました。
「堀江の旧道頓堀変電所の取り壊し」
私ompは「地元の声」として「幹線と川辺という絶好の立地と、所有者が公益企業ということから、
(地元や来街者が気軽に立ち入ることのできる)ホールや商業施設として、
(ただ保存するのでなく)活用してほしい」と述べています。
(( )部分は記事では省略されております。)
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関電の検針票を見て欲しい。お客に出す書類じゃない。
別に関電が原子力を使うからというわけでなくとも
関西を代表する企業、関電さん!
omp
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山根秀宣様 貴殿のメールを確かに拝受いたしました。
まず、「西道頓堀レンガ倉庫」につきましては、関電不動産(株)が
そのほか、当社に関する件につきまして、以下ご説明申し上げます。 「電気のご使用量のお知らせ」に記載の"日程"から始まる番号は、
次に、光ファイバー導入に関する電柱使用許可の件につきましては、
平成16年4月23日
関西電力株式会社 地域共生・広報室 コミュニケーション推進グループ
関電の伝票には各種有り、「わかりやすいもの」では
光ファイバーは「お客様にご迷惑をおかけしないよう手続きさせていただいています」とあるが、大きな迷惑をこうむった。 2003年1月、毎年3月の入退去シーズンを控え、大阪のマンション(1棟)での光ファイバー導入を計画。
大阪の話がまとまったのを受け、九州のマンション(1棟)でも導入を計画。福岡市から40km離れた飯塚市だったがアンケート調査を経て5月16日開通。 5月20日「関電の許可が下り目処が立ったので」大阪のマンションの現場工事開始。
さらに、2月にNTTと話がまとまった大阪のビル、3月10日光ファイバー開通。(大阪のマンションに比べ格段に早かったのは都心のオフィスビルという理由だけでなく「関電の許可がほとんど必要無かったから」(NTT弁)とのこと。) NTTが工事の遅さの「言い訳」に関電の責任にした部分も有るかも知れないが、3例から見ると、関電の許可が影響していることは疑う余地は無い。しかも「昨秋ごろから例年より急増」というが、上記事例はその前の話である。 現在、改善されていると言うことであれば良いことである(が、過去に迷惑をかけた時期がある事は認めるべき)
全く関係ないが、関電では二酸化炭素を冷媒に利用した給湯システムをPRしているが、いわばエアコン(ヒートポンプ)のお風呂版だ。空気中の熱を取ってお湯を作る。これは温暖化が進む今後の社会に大いに貢献するだろう。画期的である。いいこともやっていることを強調しておく。
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大阪まちプロデユース 山根秀宣 様 拝啓、時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。 さて、関西電力株式会社にお問い合わせいただきました
本倉庫は、老朽化が著しくまた耐震性にも問題がありますことから、
本倉庫の取扱いにつきましては、(中略)
この跡地につきましては、都心の居住人口の増加を通じて
なにとぞご理解賜りますようよろしくお願いいたします。 敬具
平成16年5月17日 関電不動産株式会社 ご回答有難う御座いました。 ・歴史的価値を調べる調査自体も拒否されたのは事実ですか?
・老朽化、耐震上の問題解決にはいくらぐらいかかると見込まれてきましたか?
・この建物について、地元からの要望などは受けましたか?
・この立地はどうあるべきと考えますか?
一方、道路挟んで西道頓堀川に面する土地も所有しているが、今後西道頓堀川遊歩道の整備がされると聞いている。その後にどうするか、計画はきまっていない。 (関電不動産(株)弁)
※時代は下って2008年(平成20年)、まちづくりを共に進める立場になった元関西電力重役に、本件について、改めて事実確認をする機会を得た。
言えば、すぐ何の話かわかったところを見ると、関電不動産だけでなく関西電力本体の社内でもそれなりの認識が有ったことがうかがわれた。
・・・私ompは空堀では町屋・長屋の「保存」ではなく「再生・活用」を行ってきた。それは正に、単なる保存運動は所有者に負担を押し付けるだけだからだ。本当に残すためには、社会的な必要性だけでなく、その活用法など、所有者の立場まで考えた活動が必要なのかも知れない
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残念ながらレンガ倉庫は取り壊され、オール電化マンションとなってしまったが、
上記のようなやりとりもあって、「日本初の交流発電所」という大阪が誇るべき事実は
碑文に明記されることになった。
私としてはそれを、皆が身近に知っている「日本の交流が60Hzと50Hz」に分かれた
事実とつなげて説明して欲しく、企画会社には伝えたが、一方的に抜粋した上
「この文章で決定したから」という理由で一顧だにされなかったのは残念である。
尚、碑文の原案は堀江地域や大阪の郷土史家として著作もある水知悠之介氏
(NPO法人なにわ堀江1500代表理事。保存運動を共に進めた。)だが、数分の一に省略された。