菅原道真はここから海路、筑紫の国大宰府へ旅立った。
道真を祀る天満宮の天神祭りは世界的に珍しい水上パレード。
舞台の旧淀川は天満で曲がり中之島で割れる。
水と緑と、そらが豊かだ。
いま、このまちにクリエーターが集積している。
天満・扇町を中心とした大阪市北区には、
デザインや映像、広告、編集などのクリエイティブ関連企業が2千社以上林立し、
2万1千人のクリエーターが働いているといわれている。
天神橋 天神橋筋商店街 繁盛亭 中之島 難波橋 天満橋 造幣局 堂島 網島
中之島(右)や、天満(左)の河川公園は水面と近く、「水の都」を体感できる。天神橋から撮影。奥の2層橋が天満橋。
東京のまちが水上バスに乗っても、今ひとつ景観が悪いのは、河岸の壁が高いからだという人もいる。
上の景色を反対(東)側から見ると左(南)側にビル(シティモール、キャッスルホテル、大林ビルなど)が並ぶのに対し、
右手の天満側はビルが低く空が広がるため、緑が活き活きしている。大都会には珍しい。
左手が中之島。パリのシテ島のように市政の中心だ。奥に中央公会堂や市庁舎が見える。
手前の橋は天神橋(中之島の左右とも)。北に歩道・商店街として天神橋筋が延びる。
その天神橋筋は一番南の1丁目から8丁目まであり、1〜7丁目までつづく天神橋筋商店街は
「日本一長い商店街」で有名でだが、チャレンジショップ、「茅の輪」「町街(まちがいい)トラスト」など
様々なアイデアで全国から訪れる人も多い。
天一・天二・天三、天四・天四北・天五・天六
天神橋あたりから南は、南向き一方通行の松屋町筋となり、おもちゃの松屋町や長屋の空堀、
お寺が連なる下寺町、天王寺公園・動物園へとつながる。
次の橋は難波(なにわ)橋(同じく中之島の左右とも)。
橋の上は、日本橋の電器屋街からつながる北向け一方通行の堺筋が走る。
なお天満橋、天神橋、難波橋を、江戸時代より「浪速三大橋」という。
写真奥の梅田や天神橋筋までは超高層ビルが目立つ。
「天満の天神さん」で親しまれ、日本三大祭の天神祭りが有名な大阪天満宮は
写真の右側に当たるがビルに囲まれて写らない。
桂三枝さんの悲願であった「大阪に常設落語小屋」が実現した。
天神橋筋商店街連合会と上方落語協会が、建設協力金を募り、
大阪天満宮が土地を提供した。大変すばらしい。
天満天神繁盛亭
(空堀の長屋再生の「惣」という施設でも、募金に協力したことがある。
雨天でもあり、あまり集められなかったと思うけど、
不思議と協力したくなる動きだった。
その際上記商店街の土居年樹さんの訪問も受けたが、
かつて同氏から話を伺い「(まず)言ってみる」戦法を学んだ人である。)
天神橋から京橋OBP(大阪ビジネスパーク)を望む。
左手奥が天満河川公園。手前が中之島剣先公園。
OBPの手前に見える2層の橋が天満橋。谷町筋が走る。上層はバイパス。
谷町筋は左(北)は造幣局や帝国ホテルへ、
右は大手前官庁街から空堀、天王寺へと続く。
(造幣局は貨幣鋳造の工場兼最高官庁。現在は独立行政法人。記念メダルも作る。
4月中旬の八重桜の咲く頃には構内の桜並木560mが1週間開放され、
「造幣局桜の通り抜け」で賑わう。もう120年以上続く浪速の風物詩である。)
(帝国ホテル前は河畔まで公園になっておりグルメ・ミュージック船ひまわりが発着する)
右手の巨大な建物はOMM(大阪マーチャンダイズマート)ビル。
(商業のまちでもあるシカゴも巨大なマーチャンダイズマートがランドマーク。
なお、シカゴは世界一の株式先物市場を持つが、天満に続く堂島はその先輩。
米取引のリスクヘッジのため300年前に先物取引の理論を形成・実践し、
現在の株式を含む世界の先物取り引きに引き継がれている。)
天満橋から京橋OBP(大阪ビジネスパーク)を望む。
左から天満の河川公園、川崎橋(元の、渡し舟の代わり)、
かの有名な網島(下記)、OBP、京阪電鉄本線鉄橋、大手前。
網島は、世界遺産「文楽」の最高峰で日本のシェークスピアとも呼ばれる近松門左衛門の、
これまた最高傑作といわれる「心中天網島(しんじゅう てんのあみしま)」で有名。
つまり ザ ベスト オブ ザ ベスト
私はJR東西線の現「大阪城北口」駅の名称を、「網島」にすべきと、かねてから提言している。
「文楽」が世界遺産になったいま、ぜひ実現して欲しい。
蛇足ながら網島は「島」とつくが、大川と寝屋川に挟まれ半島状に突き出した地。
緑が多く、藤田男爵(下記)名残の藤田美術館、太閤園(庭園に囲まれた宴会場)や
市長公館などがあり、風情ある一角です。
「天満橋エリア〜アートと音楽の丘〜」 |