大阪の言語   
 

<アクセント>
言語学者・金田一春彦さんは日本各地のアクセントを調査し、概ね、京都・大阪を中心とした同心円状に同様のアクセントが分布している事を発見した。
つまりかつての畿内・近畿・四国(内輪方言と言う)、中国(岡山広島や愛知静岡関東南西部:中輪方言という)、
遠国(九州中南部や北関東・東北・北海道など:外輪方言という)という感じ。
京阪から東に500キロの東京と西に500キロの北九州が良く似たアクセント。(あくまでも、京阪と比べて。)というもの。
鳥取県の一部や石川県の一部に例外があるが。

ということで、日本の中で「どことアクセントが似ている」とは言いにくい。何せ唯一の中心であったから。

ただし、テレビやラジオの発達で、東京・山の手の言葉をベースに標準語を定め、官製言語がどんどん広がっているので、
東京アクセントが広がりつつある。(但し東京アクセントも変化が激しい。若者から始まった平坦な発音は、今や
一部の言葉は「標準アクセント」になってしまった。ディスコを意味する「クラブ」など。)
しかし確かに、テレビの影響を受けやすい幼少期〜学生時代は東京アクセントになりがちだが、
社会人になると年長者との付き合いで、大阪アクセントを吸収してゆく傾向がある。

一口に「大阪アクセント」と言っても、地域により細かく異なる。
「方言指導」が入った番組を見ても、「このアクセント、違うやん」と思うことがよくあるが、
それは「方言指導」が間違っているばかりで無く、自分のアクセントが、大阪の「その地」でのアクセントと異なる場合もある。

と言うわけで、一概には言いにくいが・・・、
(私のアクセントで・・・)
「くも」は、「く」を中音・「も」を高音(以下「中・高」と表示)で発音すると、「蜘蛛(クモ)」。「くも」を「高・低」で発音すると「雲」
「はし」は、「低・高」で「箸」、「高・低」で「橋」、「中・中」で「端」(「はじ」とは読まない)。
一休さんのとんち話に出てくる「このはし とおるべからず」は、文字(ひらがな)では「橋」と「端」が区別できないことを、
活用したものだ。
「電車」は標準アクセントでは「中・高めの中・高めの中」だが、大阪だと「低・低・中」または「高・高めの低・低」。(地域で異なる)
一般的に大阪のほうが抑揚は強いようである。
 

<ことば>
1、名詞。省略型新造語では、常に日本を牽引している。
不良少年少女:東京で「ツッパリ」→消滅。大阪の「ヤンキー」→標準語化。
ミスタードーナッツ:東京で「ミスター」→消滅。大阪の「ミスド」→標準語化。

もともと大阪は省略は得意である。カラオケ(空のオーケストラ)。
地名でも天神橋筋六丁目→天六、梅田新道→「梅新」など。
 

2、名詞だけではない。助動詞もある。
一時よく問題になった「「ら」抜きことば」も大阪・関西が発祥(昭和の始めごろ)と言われている。
しかし「若者が正しい言葉を喋らない」という捉え方が先行して、「「ら」抜きことば」がなぜ生まれたか?が
あまり語られなかったが、これも合理主義である。
 実は、既に以前から標準語として認められている「「ら」抜きことば」があった事は、
あまり触れられなかった。
例えば「書ける」「走れる」・・・である。
可能を意味する助動詞「れる・られる」は、受身、尊敬、自発などと共に、
動詞の未然形(〜しない)に接続する。
本来は可能も受身も、尊敬も自発も「書かれる」「走られる」となるべきだが、
可能の場合に限り「書ける」「走れる」が認められている。
これを「可能動詞」と呼んでいる。
ならば・・・ということで「食べられる」も「食べれる」になるのも無理はない。
できることかできないことかが頻繁に問われる現代と言う時代が、
大阪で新しい可能動詞を増殖させたと思う。
そしてそれは確実に全国に広がっている。
 

3、形容詞も「メッチャ」などは元々大阪でもかなり下品な言葉だったが、
今では上品下品というより元気な言葉として東京でも認知されつつある。

上記1名詞や2助動詞などは、文法的正確さより、実利的正確さ(正確な情報伝達)・生活上の合理性
を大阪人が重視する正確から来ていると考えられる。
合理性とは正に真理に適うことで、表面的なことに流されず、常に真理を意識して生活しているのではないか、大阪人は。と思う。
それが、新しい産業の創造大阪・関西の魅力  大阪・関西にゆかりの有る人物集 参照)
歩行者信号を守らない大阪人の性格(大阪はNY)に繋がっているとも思うのだが。
 

おまけ(これも商取引上の「負ける」(値引きなどサービスする)から。グリコが広めた。)
難読地名クイズ